先航者インタビュー
― 医療連携を拓き導く ―
地域医療の未来を切り拓く先駆者たちを、私たちは「先航者」と呼びます。前例のない制度交渉や、医師同士の信頼構築を乗り越え、新しい医療連携モデルを実装してきた彼ら。本連載では、先進的な医療モール経営者・運営者を訪ね、成功の表側だけではない「意思決定の背景」や「想定外の失敗」など、これまで語られてこなかったリアルな経営ノウハウを紐解き、形式知化しお届けします。
ばば脳神経外科・救急科・健診クリニック 院長/脳神経外科・救急
「1つの病院みたいにしたかった」
「救急」と「連携」を核に常識を覆す。
全院が圧倒的成長を遂げる医師主導の医療モール
2021年12月、面識のない堺市消防署への1通のメールから全ては始まった。脳神経外科医・馬場貴仁氏は「業者主導」の常識を覆す全く新しい医療モールを構想した。「救急」と「連携」を核に1つの病院のように機能する仕組みは、全院が開業初月から世間相場を上回り、今なお圧倒的成長を続けている。常識を覆すプロジェクトがいかにして生まれたのか、その覚悟と設計の全貌に迫った。
今回ご紹介する医療モールと先航者
馬場 貴仁 氏
堺市登美丘で育ち、大阪大学医学部卒業後に脳神経外科医の道へ。厚生会第一病院で院長を務めた後、八尾市立病院・浜松南病院で救急診療科部長を歴任。2024年、初芝の地に医師主導型の医療モールを開業。
メディカルスクエア初芝駅前
- 所在地
- 大阪府堺市東区(初芝駅西側新ロータリー前)
- 構成
- 脳神経外科・整形外科・形成外科・皮膚科・婦人科・内科・乳腺外科・小児科・調剤薬局
- 沿革
- 2024年5月開業/2025年4月全館グランドオープン
- 評価
- グッドデザイン賞2024受賞
ばば脳神経外科・救急科・健診クリニック
- 診療科
- 脳神経外科・救急科・放射線診断科・臨床検査科
- 役割
- モール全体の救急・画像診断のハブ機能を担う
- 診療日
- 土日祝も診療(元旦のみ休診)
- 評価
- 第6回日本経営財団賞受賞
経歴・動機
既存の医療モールを見て回って行き着いた結論は、正直ポンコツな医療モールしかない、ということでした。
勤務医時代に感じていた医療課題や、医療モールの開業を考え始めたきっかけを教えてください。
医師歴21年、脳神経外科と救急を専門にやってきて、ずっと見てきた光景がありました。軽症の患者さんが救急車で次々と搬送されてきて、受け入れ先を探している間も、救急車は街を走り続ける。誰も悪くないのに、誰も幸せになっていない――ずっとそう感じていました。
きっかけは2021年の9月か10月頃でした。長年付き合いのあるキタバ薬局さんから「医療モールのデザインをしませんか」と声をかけてもらって。「面白そうやな」と。そこから自分なりに調べ始めたんです。
実際に他の医療モールを視察されたと伺いました。どんな場所を、どんな目的でご覧になったんですか?
既存の医療モールを見て回って行き着いた結論は、正直、ポンコツな医療モールしかないということでした。コンセプトがないんですよ。コンセプトがないから、一緒の方向を向かへんから、連携もないやろうと。だったら、診療科を問わず誰もが関わるテーマ「救急」を、モール全体のコンセプトに据えたらどうかと考えたんです。
参考になりそうな事例も探しました。北海道や近隣の奈良の医療モールに足を運び、医療機器の共同利用や画像共有、共同受付の取り組みを視察しましたが、あんまり刺さらんかったですね。同じような構想が頓挫した話も2件ほど耳にしました。1つはコンサル主導、もう1つは検査会社が中央検査部のようなインフラを作ろうとした話。どちらも、医者をまとめきれなかったんやと思います。医者は医者の言うことしか聞かん、というところがありますから。
理想の形が世の中に存在しないなら、それを確かめる作業も必要でした。開業前、医療モール研究の第一人者である京都府立大学の伊藤先生を訪ねて、自分が考えている連携型のモデルが他にないか、裏取りさせてもらったのもこの時期でした。
そこから、実際に腹をくくって前に進むと決断されたのは、いつだったんですか?
2021年12月、46歳のときでした。なぜ、46歳にもなって、安定した勤務医の道を降りようとしているのか――自分に問いかけました。そして、自分で期限を決めたんです。最終判断は2022年3月31日まで。猶予は3ヶ月あまりでした。
初芝という土地に決めた理由は?
キタバ薬局さんから、初芝駅前に長期契約で土地をゲットしたと声をかけてもらったというのが本当のところ。このモールが建つ場所は、たまたま私が子どもの頃に遊んでいた場所の、すぐ隣なんです。土地を選んだというより、縁がつながった場所が、たまたま自分の原点に近かった、そんな感覚に近いですね。
ただ、ここのエリアは医学部が近畿大学くらいしかないし、医者がそもそもいない。この場所に縁もゆかりもない医師を集めるのは圧倒的に大変だろうと、キタバ薬局さんにとって最大の懸念材料であったはず。だから、計画を始める前に繋がりを求めて僕に声かけたんだと思う。
初期フェーズ:設計・立ち上げの実態
初期の設計段階では、どのような選択肢を検討されていたんですか?
勤務医時代から温め続けていた2つのプランがありました。プランAは、脳神経外科を中心診療科に据えて、CT・MRIを完備した堅実な運営。プランBは、救急を看板に掲げて、救急車の受け入れをする挑戦的な設計です。プランBのメリットは、救急車を受け入れるわけですから地域の信頼を得やすいこと、なにしろ日本初だということ。デメリットは、入院ベッドがなければ限界があること、夜間休日は人件費が跳ね上がること。救急にかかるお金の大部分は人件費ですから、負担が大きすぎれば、3年で規模縮小も可能だと自分の中では割り切っていました。ただし、救急を受け入れる心意気だけは絶対に残すんやと決めていましたね。
一緒にやる医師を集める上で、採用基準や、一番大事にされていたことは?
医師集めの絶対条件は、コンセプトに寄り添ってくれることでした。救急ですから、いろんな患者さんが来る。ちょっと1階に降りてきて診るぐらいのことはしてほしい、とお願いしています。障壁は2つありました。立地はさっき言った通りですし、もう1つは、正直、自分の熱量そのもの。暑苦しくて無理だと離れていった人も何人かいましたね。
実績がない段階では、縁が決定的でした。大阪南部の、大阪全体から見れば過疎っているこの地域に、北部の栄えている地域からわざわざ来てくれる医師はかなり稀だろうと当初考えていました。声をかけた5、6人のうち、ほとんど反応がない中で、最初に二つ返事で来てくれたのが、内科の先生でした。ゼロが1になったのは、本当にありがたかった。乳腺の先生は昔の職場の同僚で、先方から声をかけてきてくれた。整形の先生はとある開業医つながり、小児科の先生も同じような縁です。断念した先生の多くは、家族の反対が理由でした。勤務医から開業医になるのは、多額の借金を背負うということですから。
建設中の2号店「メディカルスクエア初芝駅前Ⅱ」は、2名の医師を私が直接誘致して、1人は薬局さん経由で決まりましたが、候補者面談では「お前それでもやるんか」というくらいのプレッシャーはかけますね。覚悟を確かめたいので。
デベロッパーであるキタバ薬局さんとの関係づくりは、いかがでしたか?
私の構想は、当時の薬局さんにはついていけないくらいアグレッシブでした。土日診療をお願いする、モール内のインフラ整備も求める、開業前からグッドデザイン賞を獲りに行くと言い出す。極めつけは、MRIを入れるために薬局さんのスペースを段階的に広げてほしいとお願いしたときですね。あれは半分喧嘩みたいな状態になりました。向こうも、えらい人を抱え込んだな、と思っていたはずです。
設計を進めていくなかで、苦難に感じたことは何ですか?
電子カルテのシステム選定は想定以上の難所でしたね。HL7 FHIR、DICOM連携、SS-MIX2ストレージ……専門ベンダーが並べる用語に、正直、理解が追いつかない場面もありました。あれは計画全体を沈めかねない、最大の暗礁の1つになりかけたと思います。
単一障害点のリスクは、開業前から周りに指摘されていました。一緒に構想を練っていた放射線診断医の仲間、のちに副院長として合流してくれた金澤とは、「お前が倒れたら、全部止まる」「人一人でできる話じゃないですよ」と、何度も言われました。でも、ここで諦めるわけにもいかない、と。
クリニックの名前に「救急」を入れることは認められなかったそうですね。保健所など行政とはどのように調整を進めてきましたか?
この医療モール計画は、2021年12月20日に消防署へ送った1通のメールから始まっています。この時点で計画はまだ2年先の話でしたが「応援はするよ」という言質はもらえました。偶然、担当してくれた方が私の高校・大学の先輩で、日本の救急医療、特にメディカルコントロールのシステム構築に貢献した著名な医師であり、堺市立医療センターの救急を立ち上げた人物でした。この出会いは大きな追い風になりましたね。
一方で、保健所は前例のないことに基本的に否定的でした。クリニック名に「救急」という言葉を使うことを認めてもらえなかった。理由を調べていくと、救急医療には一次・二次・三次という3段階のレベルがあって、大阪の場合は「救急」を名乗るには二次救急の指定を取るしかなかった。でも二次救急の指定には、入院ベッドが最低2床必要なんです。うちはクリニックですし、そもそもベッドがない。制度の上では、ベッドのないクリニックが「救急」を名乗って救急車を受け入れるという道は、ほとんど閉ざされていたんですよね。
転機になったのは、2023年2月1日。消防署、地域医療の重鎮の先生、市議会議員、商店街連合会の会長、それにうちのチームまで、立場の違う人たちが1つの場に集まってくれたんです。そこでこの医療モール計画のことや、地域で完結する医療体制の重要性をプレゼンをさせてもらいました。私たちは1人では何もできません、行政、消防、地域、そして医療が1つにならないと、この構想は本当の力を発揮しません、と。それと、埼玉・川越の救急クリニックを見学したときに言われた「政治家と繋がらなあうまいこといかん」という一言が、ずっと頭に残っていました。地元の有力な市議会議員に直接アプローチして、支援をお願いしたのもこの頃でした。
保健所から最終的に言われたのが、「『救急』を付けるのは厳しい。でも『救急科』なら、よいでしょう」という一言でした。「救急」と「救急科」、たった1文字の違いなんですけど、その1文字に、それまでの交渉の全部が詰まっていたんですよね。
グッドデザイン賞への応募は、どういう経緯だったんですか?
開業前から狙っていました。「Wevery!」というYouTubeチャンネルの動画を熱心に観ていて、神戸のクリニックが1次審査を通過して2次審査で落ちたという動画を見つけたんです。だから「出したろ」と。応募書類は本当にめんどくさい作業でしたが、第3者評価として、何かの時に役立つはずだと思って完遂しました。
開業前の診療圏調査など、既存のデータ分析は参考になりましたか?
開業前、会計事務所が出してくれた診療圏調査の患者数や売上の予測は、正直、見当違いでした。実際の売上は、予測の5倍近くに達しています。診療圏調査に効果はないと思っています。ネガティブな声も色々ありました。地域住民の方から「ここで開業しても意味がない」と言われたこともある。それやったら、人が来るような場所にしようと思えたんです。それで、広告や色々な方法で人を集める準備を、より一層しっかりやろうという気持ちになりました。あらゆるネガティブ情報をプラスに変換する、ある意味狂った思考回路が要るんやと思います。
なぜ2階の医師は、低リスクで開業できたのか
取材から見えてきたのは、馬場氏が本来デベロッパー(薬局)側が担う役割――医師招聘・コンセプト設計・調整といったB2B機能――をプロジェクトリーダーとして引き受けながら、自らB2C側の集患施策も同時並行で実行してきた構図だ。共通利用できる高額医療機器や統一システムをあらかじめ整えたことで、後から参加する医師は初期投資を抑えた形で開業できる。同じ大学・同じ地域出身といった「縁」を軸にした招聘と、この低リスク構造が組み合わさったことが、開業後の増収にもつながっているのではないか。
運営フェーズ:日常連携のリアル
1つの病院みたいにしたかった、それだけなんです。
日々の運営で、1番意識されていることは何ですか?
別々の組織が同じ建物にあるんじゃなくて、1つの組織のように機能させたかった。そのために、院長同士が隠し事なく付き合える雰囲気を、自分で意識的に作ってきたつもりです。
象徴的なのは、院長全員が入っているLINEグループでの売上共有ですね。月3回、各クリニックの売上予測を出して共有しています。全部筒抜けであることのシンボルなんですよ。遊び半分の仕掛けなんですけど、みんな既読スルーすることも多いのに、内心はめちゃめちゃ気になっているはずです。費用までは把握していませんし、売上目標を強制しているわけでもありません。プライドの高い先生方に効く、健全な競争心の刺激剤だと思っています。
その他に、2ヶ月に1回の院長・副院長が集まる親睦会や、4ヶ月に1回の薬局も含めた院長会議もやっています。モール全体での合同忘年会をしたりとか、クリニック同士、スタッフ同士も仲良くやっていますね。
「遊び半分」の仕掛けが果たす経営教育的機能
月3回の売上共有を、馬場氏本人は「遊び半分」と表現するが、実質的には経営リテラシーの底上げという教育的機能を果たしていると見られる。新しく参加する医師も入職前からこのLINEグループに加わることで、情報共有が当たり前の文化として自然に刷り込まれていく。2ヶ月に1回の懇親会、4ヶ月に1回の正式な院長会議(薬局を含む)という頻度の高い接点も、この透明性を支える土台になっている。
重要な意思決定は、どのように行われているんですか?
意思決定は、私の独断ではなく合議制です。診療時間を延ばしたいという話が出れば、薬局の営業時間の調整も必要になりますから、関係者間の話し合いは必須になります。院長会議は薬局さんも含めて4ヶ月に1回、懇親会は2ヶ月に1回のペースでやっています。
正直に言うと、ジレンマもあります。整形外科が人気になりすぎて、待ち時間が長くなって、紹介した私のところにクレームが来ることもある。日曜日も開ければいいのにと思いつつ、各クリニックの経営は治外法権ですから、診察日を増やせと強制はできない。自分の患者を抱える立場としての歯がゆさと、他院の経営に口を出すのは筋が違うという気持ちの間で、揺れています。医師をもう1人雇う「双発エンジン」で解決する手もありますが、質が落ちることを心配する声も分かるんです。
医療専門領域(連携・救急・画像診断)
1階に画像検査・生理検査・検体検査・救急処置室・地域連携室・健診部門を集約するハブ&スポーク構造が、メディカルスクエア初芝駅前の中核設計だ。
医療モールを設計する上で工夫した仕組みは何ですか?
いくつかの仕組みを、バラバラにせず"統合"する設計にしたことです。大前提として、これは業者主導じゃなくて医師主導で、計画を立てる段階から設計しました。その上で、電子カルテと画像参照システムを全院で統一したこと。情報がクリニックごとにバラバラだと、いざという時に追えませんから。
それと、患者IDの発番ルールを、計画を立てる段階で決めておいたことも大きいですね。総合病院みたいに患者情報を筒抜けにしてしまうと個人情報保護の観点で問題が出るし、逆に普通のクリニックのシステムだと連携自体が物理的に無理なんです。うちは、クリニックごとに個別のID体系を割り振っておいて、IDが重複しないようにする。それで、同意してくれた患者さんだけ、クリニックをまたいで情報を見られるようにしています。これは後から個別にがんばってもできない話で、最初の設計で決めておいたからこそできたことなんです。
現場をつなぐという意味では、PHS網も大きいですね。受付から放射線技師へ、医師から医師へ、看護師から看護師へ――離れた場所にいても、すぐに連絡が取れる。あとは1階の救急処置室と地域連携室。ここが、モール全体の心臓と神経みたいな役割を果たしてくれています。
画像診断の連携は、実際どのように機能しているんですか?
画像診断は、うちのクリニック側の体制で読影を担っています。モール内で完結する画診共同のフローは、従来の他院依頼MRIが9ステップで数日から1週間かかっていたのに対して、3ステップの当日完結です。このモールでは電子カルテと画像参照システムを全院で統一しているからそれができるんです。
従来のやり方だと、紹介状を作って、画像施設側で新規患者として受け付けて、IDを発番して、診察して、撮影して、CDに焼いて紹介元に返して、また会計して……というふうに、初診料や紹介状の作成費用がその都度発生するんです。うちは撮影依頼書を作ってもらえば、そのまま撮影に入れて、画像はシステム上でリアルタイムに紹介元のクリニックから見られる。新規受付もCDへの書き出しも要らないんですよ。患者さんにとっても余計な手続きや費用もいらないから、その方が良いでしょ。MRIの稼働は初月の387件から1,121件まで増えて、2025年12月からは2台体制にしました。CT・レントゲン・DEXA・胃透視も、いずれも大きく稼働が伸びています。
再現性・将来展望
患者が診療所を選ぶ、他業種と同じ競争の時代。ただ、共創の時代。
このモデルは、他の地域や他の医師でも再現できるものだと思いますか?
このモデルが再現できるかというと、正直、ハードルは高いと思っています。まず、構想を牽引する中心人物である医師の存在が必要です。次に、資金調達の規模。普通のクリニック開業なら1億円くらいですが、このプラットフォームを作るには3億円規模が必要で、銀行が医師個人に貸してくれる上限は1億から1億5000万円くらいが一般的です。それから、患者を集めるBtoCのリスクと、テナントになる医師を集めるBtoBのリスクを、同時に背負う2重のリスクがある。多くの医師は、自分の専門分野で開業することは考えても、プラットフォーム自体を作ろうという発想そのものを持たないという現実もあります。そして、地域ごとに保健所や消防、議員との関係性が全然違うので、堺市で通用したやり方が、そのまま他の地域で通用するとは限りません。
後継者を育てるという意味では、塾のようなものを作りたいと考えています。資金的な援助はしません。あくまで自己責任で経営に挑戦する人材を、1年かけて自身のやり方や考え方を教え込みたい。そこまで借金をこさえてやるか、というくらいの覚悟がいる話ですから、お金の援助はしないけど、やり口は教える、というスタンスです。
次の展開について、教えてください。
次にやりたいのが、堺市内での新しいプロジェクトです。行政や消防、議員との関係は地域ごとに全然違いますから、まずは堺市の中でしっかり実績を積み重ねたい。飛び地みたいに離れた場所にいきなり行くのは、正直やりすぎやと思っています。数年後を目標に、ある沿線の建物のワンフロアを、今度は自分の法人が主体になって借り上げて運営しようと考えています。調剤報酬の引き下げで「医療モールビジネスは終わった」とまで言われる逆風の中ですが、調剤収益に頼らない法人が自分でテナントリスクを引き受けることで、新しいプラットフォームが作れると見ています。2つ目が成功すれば、2度あることは3度あるで、追随する人が増えるはずです。
マゼランメディカルと組んで取り組んでみたいこと、挑戦したいことはありますか?
マゼランメディカルさんには、医療モールのミシュランのようなものを作ってほしいと思っています。地域からの評価、連携の度合い、やる気度をスコアリングする格付け機関です。コンセプトがあるだけでプラス60点、というくらいのイメージです。金儲けだけじゃなくて、地域に本気で求められるものを作っているかどうかを、業界全体に問いたい。
患者が診療所を選ぶ、他業種と同じ競争の時代になっています。ただ、私は、共創の時代だとも思っているんです。
海図のない海を行く、すべての仲間へ。
――感謝を込めて。
2階クリニックの先生方から
いとしん整形外科
近隣の競合が多く、開業当初は非常に心配していましたが、おかげさまで予約が取りづらいとクレームをいただくまでになりました。X線検査からCT・MRI・エコー・骨密度・透視等、あらゆる画像検査を気軽に依頼できる環境で患者さんにも非常に満足してもらっています。勤務医時代より圧倒的に忙しくなりうれしい悲鳴を上げています。
中村まさし内科クリニック
やってよかったと、思います。どこのモールよりも自分も楽しく、そして、患者のために仕事できてると自負しています!!
ななほしクリニック
モール全体で緊密に連携し合い、地域の皆さまに喜んでいただける治療はもちろん、最先端の医療も提供できるようにしています。他のクリニックの先生方と一緒にモール全体を盛り上げていける今の環境が、とにかく楽しくてやりがいを感じています。
共通項ダイジェスト
20年間の救急現場で見た「軽症搬送のたらい回し」への危機感と、「既存モールにはコンセプトがない」という自己分析から、救急を核とした医師主導型モールを着想
自身が育った初芝の地。偶然、薬局側からの声かけが重なった
長年付き合いのあった薬局、大学同期の放射線科医、リファラルで集めた医師仲間
デジカル・デジスマ・LOOKREC・ビジコムへのシステム統一
立地による医師集め、システム選定の専門性、行政(保健所)の前例踏襲主義、単一障害点への内部からの懸念
「救急」「画像」のハブ機能、各院システム統合、PHS網
開業初月から世間相場の売上を上回り、現在も成長を続ける。グッドデザイン賞2024受賞という第三者評価も獲得
人気クリニックへの患者集中と待ち時間問題、単一障害点
独断ではなく合議制
2027年春に初芝駅ロータリーに2号館、数年後に堺市内で新規プロジェクト